私の母は、超がつくほどネガティブ思考&心配性です。
今朝、朝食をとろうとボーっとしながら台所に向かうと、母がテレビを見ていました。
そして、第一声が、
「日本はロシアに侵略されて、第三次世界大戦が起こるよ‼こんなことしている場合じゃない」でした…。
「ん??」
起きたばかりの私の頭の中は、完全に思考停止でした。
私の母は最悪のケースを想定しながら行動するという癖があります。いつも「もしも」の事態を考えていて、それに備えて前もっていろいろ準備を始めるので、「もしもグッズ」が家中に溢れかえっています。
今朝の第三次世界大戦の話については、母なりに、日本で戦争が起きたらどう行動したらいいのか考えて、今のうちに少し家族で話したかっただけなんだと思いますが、
私としては、起こるかわからない戦争のことを考えるよりも、まずは今、何を食べるかのほうが重要でしたので、
「じゃ、お母さんは実際に日本で戦争が起きたらどうするの?」
と質問をなげかけ、母が考えているうちに朝食をさっさと作り食べ始めました。
結局のところは、母もどうしていいいのかわからず何も答えは返ってきませんでした。
最後に、
「私達にはどうすることもできないんだから、今考えたってどうしようもないんじゃないの」
と母に言って、その話は終わりました。
他にも、
私がまだ前職に勤めていた頃、東京に出張することが時々あったのですが、全国で頻繁に地震が発生してくると、決まって、
「出張中に南海トラフ地震があって帰れなくなるかもしれないから、東京に行かないほうがいい」と言ってきたりします。
私のことを心配してくれるのはありがたいことなんですが、さすがに「地震が怖いので出張に行けません」なんて上司に言えるわけもなく、毎度その忠告を無視して出張に行くことになります。
小さい頃から、もし雨が降ったら、もし寒かったら、もし暑かったら、もしお腹が痛くなったら、もしこれを失くしたら、もし事故や災害にあったら、もし、もし…とあらゆるものを持たされました。
母自身も近所のスーパーにちょっと買い物に行くだけなのに、いつもバックを2、3個持って車に乗り込みます。旅行となったらそれはそれは大変な荷物の量です。
それから何十年も経ちましたが、そんな母の心配をよそに、私の「最悪のもしも」はほとんど起こったことがありませんでした。たとえ起こっても何とかなってしまっていたので、今となっては、母親のもしもの話はほとんど聞き流すようにしています。
むしろ、母が無駄な心配やネガティブな話を始めると、私は無性に反発したくなり、無理やりにでもポジティブな話にもっていき、母を安心?納得?させようと話をすり替えるようにしていたので、いつのまにか私自身は超ポジティブ思考になりました。
母としては、自分の話を全然聞かない娘におそらく大きな不満を持っているのかもしれませんが、言うことを全部聞いていたら、いつも失敗や不安に怯える性格になっていた気もするので、結果的には良かったのかもしれません。
そんな私の口癖ですが、「まぁいっか」「なんとかなるでしょ」です。
勤めていた会社が倒産しても、転職ばかりしていても、面接で落ちても、努力したのにうまくいかなくても、そして40代で独身でも「まぁいっか」です。
そして、46年間生きてきて当初の予定とは随分違うところに来てしまっていますが、とりあえず、なんとかなっています。
たとえ無職になったとしても、真冬の寒いなか早起きしないでいつまでもぬくぬくと布団で寝ていられる状況だけでも、とても「幸せ」を感じてしまいます。
会社でも「なんだかいつも楽しそうだね」と、嫌味なのか誉め言葉なのかよく分かりませんが、そんなことをときどき言われたりします。でも、そんなことも特に気にしたりしません。「そうなのかな?」という程度です。
かなり前ですが、自宅に「あなたの幸せを祈らせてください」といって宗教関係の方が訪れた時にも、「今、幸せなので間に合ってます♪」と言って、笑顔ですぐお引き取りいただくような私です。
こんな私のような人は、世間的には「楽天的」とか「楽観的」と呼ぶのでしょう。私としては、どちかというと「楽天的」な人間かなと思っています。
ちなみにですが、「楽天的」と「楽観的」の意味には違いがあります。
「楽天的」には、「自分の境遇をありのままに受け入れ、物事をくよくよ考えないこと」という意味があります。たとえば、トラブルが起きたときに焦ったりすることなく「こんなこともあるよね」とクヨクヨ考えないような人を言います。楽天的の反対語は、厭世的(えんせいてき)です。
「楽観的」には、「物事をうまくいくと考え、気楽に考えること」という意味があります。例えば、新しいことに挑戦するときに「上手くいくだろう」と単純に考えて、「失敗するかもしれない」という心配を一切しないような人を言います。楽観的の反対語は、悲観的です。
似ているようですが、微妙にニュアンスが違います。
「楽天的」のほうが、現実を受け止めた上で、良い時の自分も、ダメな時の自分も、ありのままの自分を承認することになるので気持ちがとても楽です。
そして、その分、何度失敗しても、立ち止まっても、悲しい現実を突きつけられても、気持ちを切り替え諦めずに前向きに行動しようと思えます。
ただ、この一見メリットだらけに思える「楽天家」の性格ですが、もちろんデメリットもあります。
人を信用しやすい、反省する時間が人より少ない、リスクを小さく見積もりすぎる、他人にも自分にも甘いなどマイナス面もありますので、そこは気をつけたいところですね。
その部分については、私の場合は、母のような「悲観的でマイナス思考」の人が近くにいてくれて、その都度大げさに忠告をしてくれるおかげで、いったん冷静に考える時間や心の余裕ができ、今までなんとか危ない目に合わずに済んでいます。
ただし、母とはそもそも考え方がまったく違うため意見が合わずよく喧嘩はします。それでも、最終的にはそれを引きづらず、一緒に旅行をしたり、買い物に行ったりとけっこう仲が良かったりします。プラスとマイナスでお互いうまくバランスが取れているのかもしれないです。
結局のところ、「楽天家」になるということは、どんな状況でも自分を自分で認めてあげることに繋がるので、ぜひその思考をおすすめしたいところですが、
ただ、私のようにあまり深く考えず突っ走る人もいるため、そんな人には、ネガティブさんの存在も大事にしておきたいところですかね。
おそらく、ポジティブさんとネガティブさんが一緒に暮らすと喧嘩が絶えないとは思いますが、お互いにそこの部分を認め合えたときには、何か相乗効果が生まれるかも?なんて思っています。
さて、
今日もそんなことを考えながら、早くロシアとウクライナの戦争が終わることを祈りつつ、また母とお茶しながら大激論を交わしたいと思います。
それでは、また。